競馬の予想を長くして来ますと、騎手の騎乗に対して「あれや・これや」と言いたくなる瞬間は訪れます。
「それくらいはできるだろ」「スタート決めろよ」「出遅れるなよ」「前行けよ」「その位置は取れるだろ」「なんで下げるんだよ」「なんで出していったんだよ」「ちゃんとコーナー曲がれよ」「追い出すタイミング違うだろ」「最後ちゃんと追えよ」「馬群、捌けないのかよ」「ゴールしてから交わしてもダメなんだよ」「親父には勝てないな」「息子に負けてるぞ」などなど、エトセトラ。
レース映像を見すぎたせいか、その気持ちはよくわかります。
レース映像を見すぎたというのは、ただ見すぎたのではありません。
18頭立のレースで内枠1番から大外枠18番まで「スタートからゴールまで」どういうことがあって走ったのか、細かくメモしまくってデータ化するくらい見すぎたという感覚です。
上記に書いた以上に大なり小なりレース中の動作で指摘できる騎乗はたくさん見られます。
騎手目線の模擬レース動画で視点を増やして競馬を考える
レース映像の視点は一つだけではありません。YouTubeを検索しますと「騎手目線の動画」が見つかります。
この騎手目線の模擬レース動画を見てますと、いわゆるレース映像やパトロールビデオとは違う目線でレースが見られます。
はたと気付くのは「いつも見慣れてるレース映像、レース動画、パトロールビデオ」というのは神の目線なんだなと。
あなたは〜 髪を〜 伸ばしますか?(結婚しようよかよ!)。
ごほん、ごほんっ。もとい。神の視点で競馬を語りすぎてる問題。
いち競走馬、その馬に乗るいち騎手の目線から感じれる視界の範囲でないところで「あれや・これや」言ってる。
なんと言いましょうか、物事の理解は自分から動かないとわからない。
与えられるものだけだと理解は深まらない。
志村! 後ろ! う・し・ろ! と指摘できる理由
いきなりですけど、『8時だョ!全員集合』の話。
「志村! 後ろ後ろ!」と言えるのはどうしてでしょうか?
ある種、神の視点に立ってるところから見てるから言えるのではないでしょうか?
そして、その危機迫ってることに関しての予想が当たる確率が高い。だから指摘できるのです(賭けに出られる)。
コントの中の話ですから、志村けんさん自身も危ないことが迫ってるのは百も承知でしょう。需要と供給の関係性からすれば、危ないことを指摘するある種の楽しみも生まれるので「神の視点」から見てもらうことがコントの場合、望ましい。
しかし、競馬のレースの場合は「危機が迫る」だったり「そこで手を打てばいい」選択を読めないことが多い。
レース映像やパトロールビデオを見てる人からすると、わかるだろとなるんだけど、実際に騎乗している騎手の目線、競走馬の視点からすると読めないんだろうなと思うこともしばしばあります。
競馬にはリハーサルはない、本番だけです。しかも、危機はいきなり起きる。
岩田康誠騎手は「前で垂れそう」な馬を察知するのが早く、レースの前半から影響のある列にいる場合、回避する手を打ってるのかよくわかるレースが多かったりします。
ただ、後ろから手を打ってくる馬のことはなかなかわからないものです。
だから、ベテラン騎手でも振り向きますし、股の間から覗いたりしますし、きちんと把握しなくてはいけない場面では騎手の首は動きます。
神の視点で競馬を見続けてるのをよく知る
レース映像やパトロールビデオを見て競馬予想するのは「神の視点」から見てるんだと気付いたのは最近のことだったりします。
競馬のレース映像やパトロールビデオを見るときに気にしてることはたくさんあるんだけども、どこまで行っても「神の視点」で見てることは忘れないようにしてますね。神の視点をどれだけ該当馬の視点で想像できるかが勝負。
— たけたけっ (@tktktu) 2020年3月24日
「神の視点」でレース映像見すぎてるから、騎手への愚痴が出やすいんだと思うんだよなぁ。
— たけたけっ (@tktktu) 2020年3月24日
予想して馬券買って競馬を見てて、納得できない騎乗されることはよくあること。愚痴が出る。
愚痴を言わないためには、理由や事象の見解、理解が必要です。
理由を知っていて、積み重ねていることがあると「それが、そこで起きたら大きな負荷になるから、直線伸びを欠く。今回はそれが起きたから致し方ない」と、怒りも次のための仕込みをしたんだな、条件が合うように出走して来ておくれとなります(ハンカチがいくばくか濡れ、財布が軽くなり、ハンカチを洗濯し、乾かし、次の涙の準備をしますけども。それが人生さ←強がり)。
着順が着順通りで正しいのであれば、誰一人とて競馬の予想をする必要はありません。
予想してたら「バカか」と言われるでしょう。
しかし、競馬が始まってから国や競馬のレベルを問わず、着順が着順になってないレースしかないからたくさんの人が競馬予想して馬券を買い続ける。
騎手が、競走馬が走れる力を見せられないことはよくあること。それを見抜くのが競馬予想だったりもするわけです。
その上で自分の本命は「レース中に不利や負荷がひとつふたつあっても3着までには来る馬」を選ぶことにしています。
とはいえ、騎手への批判は
レース映像見てて「それは危ないな」と感じることについては言いますね。
これは批判というより、批評でしょう。レースが著しく壊れる騎乗ってありますから。
あと、なかなか言及しにくいですけど、そのレースで勝てても、馬券になっても馬に負荷かけすぎた騎乗もあります。
競走馬の上に騎手が乗って初めて馬の進む方向性が定まるわけで、騎手の技量は大事です。その割合が3対7だ、いや、5対5だなどその人その人の考えは多種多様な競馬。
どこまでいっても競馬は「防具をたいしてつけてない状態でかなりのスピードで騎乗する、命賭けてる騎手」VS「命の次に大切なお金を賭けてる馬券購入者」の構図はいつまでも変わらないのでしょう。
もっとも「馬に乗ったこともなければ、触ったこともない人間のたわ言だろ」というのが騎手の本音なはずですけども。
その上で、競馬の予想していきますよ。
以上、騎手批判について、一つ二つという話でした。
参考にどうぞ